水彩画家 東富有 「作品制作における虚と実の捉え方」
古典主義派フランスの画家ドミニク・アングルと印象派フランスの画家ルノワールの作品から、作品制作における『実』と『虚』を考えていきましょう。
その前に『実』と『虚』について簡単な定義として、私たち人間の目を通して見える世界の真実には実と虚の両方があります。
例えば、一点を見たときに、見えたものが『実』であり、その周りが見えないようなものが『虚』です。
つまり人間の目に映る真実とは目に入ってくるもの(実)と、入らないもの(虚)が存在します。
2人の画家の作品を鑑賞すると、アングルの作品は『実』よりの作品で、ルノワールの作品は『虚』よりの作品です。
どちらが良いかは評価できず、どちらも素晴らしいですが、アートの時代を流れを見ると、古典主義派から印象派、そして抽象主義派へ、実から虚へと流れが変わって、アートは進化しているといえます。
そして今のアートに求められるのは、『実』すぎず、『虚』すぎない狭間であり、それが作品の自然さを生み出し、最高作品の境地に達するといえます。
また、絵画と写真の違いとして、写真は実のみを事細かく写すものであるため、虚によって作用される実のドラマチックな表現(人の感情)をする要素が無く、感情移入しづらい作品となるのです。
感情が入らない作品には自然さが無く、感動を共有できないのです。つまり絵画では虚を表現することで、実を表現すると言っていいのです。
そして東洋絵画にはその画家の感情についての言葉があります。
『写意=意在笔先、意到笔不到。神似=形在似与不似之間』意味は『画家の魂は、筆を運ぶ前に存在し、時に魂で描くことがあっても、筆では描いていないことがある。そして物は形が似ているか似ていないかの間に存在する。』特に水彩画は西洋絵画と東洋絵画の融合です。
つまりこの東洋絵画の思想を重視して、作品制作に臨む必要があります。
以上から、作品制作において『実』と『虚』の両方の表現が必要で、どちらにも偏ることができず、その狭間で絶妙にバランスの取れた作品こそ、私たちが納得する素晴らしい作品といえるのです。
(文 水彩画家 東富有 / 東 有達)
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「AZUMAs」とは水彩画家 東富有(父)を師匠とし、兄妹3人(東有達、東俊達、東達美)の4人です。小さい頃から絵を描き、新潟や佐渡の風景を中心に制作をし、2016年から新潟三越で親子展を開催、全国各地のギャラリーや海外の展示会で作品を発表しています。
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